スタイルのある暮らし

1980年代、東京六本木。TD6は、85年に東京ファッションデザイナー協議会(CFD)として正式に発足した段階で発展解消となったが、花井幸子は、協議会メンバーとして、続けて東京コレクションに参加している。

’70年代後半から’80年代にかけての花井幸子は、拠点は六本木と変わらないものの、仕事の内容は多岐にわたった。全日空、富士銀行、大丸、高校・大学等の制服デザイン、映画衣装デザイン協力、テレビ出演、アクセサリー・小物デザイン、ニューヨーク老舗百貨店サックス・フィフス・アヴェニューをはじめとしたアメリカ進出、香港ブティックオープン。それこそ息つく間もないほどに、周りからの依頼をこなしていった。

花井幸子が、積極的に依頼を受けたもののひとつは、ライセンスのデザインだった。革小物、バッグ、アクセサリー、サングラス、メンズウエア、ネクタイ、食器など、90年代初めにライセンスは35社に増えていった。

ライセンスデザインのアイデアは尽きない

洋服全般をトータルにみる「スタイル」という花井幸子の考え方は、さらに広く生活全般までに広がっていった。

それこそ、洋服以上に機能と合理性が要求される小物や生活関連品のデザインは、彼女が以前からやりたかったことだった。

革小物やバッグにはベーシックでシックなデザインの一方で輝くような色彩を与え、食器や生活関連等では、中国や和の知的で上品な趣味を復活させた。

「スタイルのある暮らし」。機能が優先され味気なく無機質になっているものにファッションデザインを加えることで。生活に彩りを与え、新しい命を吹き込むライセンスのデザインは、花井幸子にとって、魅力的な創作だった。

なかでも、こだわりを持ってデザインしているもののひとつが、きもの。

きものへのこだわり

「小学3年から中学までバレエを習い、横浜育ちの洒落者だった父によく外国映画に連れていってもらっていた子供の頃を考えると、和に興味を持つこと自体不思議なのですけど、歳を経て突然きものが美しく、自分自身着たいと思ったのがきっかけでした。でも、その時に着たいきものがなく、だったら、自分で創ろうということが経緯です。私の祖先がやんごとなき武士だったことも影響しているのでしょうか」。

花井幸子が目指したのは、モダンで粋なきもの。年1回、きものコレクションを開催し、これまで染めた柄は100点をゆうに超えている。ひとつひとつに情熱とこだわりを持ってデザインしている花井幸子の姿が、そこにあった。

日舞の稽古も欠かさない(写真提供:婦人画報2006年7月号)

今だにバレエを観ることが好きで、その一方では日舞を習い、映画や音楽にも興味を失わない花井幸子の趣味人としての目線の高さは、多くのライセンスデザインを考える上で、ひとつの羅針盤となっている。

生活に彩りを与え、日々に驚きと感動を添えるライセンスデザイン。

花井幸子にとって、それは洋服やファッション関連のデザインと同じで、羅針盤の針が示す先にあるものは、知的で上品な暮らし。それこそが、花井幸子が願う「スタイルのある豊かな暮らし」に違いない。